小林愛三引退コラム[文:布施鋼治]小林愛三から小林愛実へ。 不世出の女子キックボクサーが 選ぼうとしている第2の人生=RISE202

大会情報 2026年10月14日

来る2026年10月17日(土)東京・後楽園ホール にて開催されます『RISE202』で引退式を執り行う小林愛三のコラムを公開します。[文:布施鋼治]

久しぶりに会う彼女はすっかり優しい顔つきになっていた。

「最近よくそう言われます。(試合から離れた)最初の頃は運動もなかなかできなかったので、太ったりしていました。いまはやっと走ったりして、少しは元の状態に戻れたかなと思います」

 初代RISE QUEENフライ級王者の小林愛三から本名の小林愛実へ。

 正確にいえば10月17日の引退セレモニーを迎えるまでは「小林愛三」のはずだが、目の前にいるのは紛れもなく小林愛実だった。

「この間、姪っ子からいきなり″愛三″と呼ばれたんです。今までそんなふうに呼ばれたことはなかったのに。その子からの手紙にも愛三と書いてくれたりして衝撃でした。『まだ愛三っているんだな』と実感しました」 このリングネームは長年チーフトレーナーを務めた牧裕三氏の名前の一文字を譲り受ける形で名付けられたものだ。ただ、のちに判明したことだが、このリングネームにはもうひとつ深い意味が含まれていた。

「兄弟はみな東京出身なんですけど、わたしだけ母方の祖父母が住む愛知県豊川市で生まれたんですよ。東海三県は愛三岐(あいさんぎ)と呼ばれていると聞き、何か縁があると思いました」

 最後のリングはRISE189(2025年6月29日・ 後楽園ホール)で組まれた王者テッサ・デ・コム(オランダ)に挑戦したRISE QUEENフライ級タイトルマッチだった。結果は5R判定負け。テッサとは過去2戦2敗という戦績だったので必勝を期した一戦だったが、その願いは叶わなかった。

 小林は「その試合映像をしっかり見返したかといえば、そんなに見返せていない」と話す。「しっかりと試合を振り返り、『あのときどうするべきだったか?』と反省したり、自分の感情と実際外から見た動きをリンクさせたりはしました。自分の目で外から見た評価をいえば、『もっとできたんじゃないか?』という気持ちも少なからずあります。でも、すごく万全な状態で試合に臨めた日だったんです。自分がやりたいスタイルを決め、それを実行する日でした」

 試合が思わぬ方向に進んでいったのは、1R中盤過ぎ、テッサの左ハイキックが小林の左まぶたを捉え、時間が経つにつれその周辺が腫れ始めたことがきっかけだった。

 2R以降、テッサは遠い距離を保ちながら強烈な左のミドルやストレート、さらにはハイを繰り出し、小林の左目周辺をさらに腫らしていく。小林は必死に前に出てパンチをヒットさせようとするが、王者の巧みなステップと手数と前に思うように試合を進ませることができなかった。

 そんな試合展開を小林は振り返る。

「結果として自分の力をすごく出せたかといえば、そうではなかったですけど、いまはやり切ったなと思っています」

 テッサとの初対決や再戦のときと比べても、そういう思いが強かった?

「気持ちの面で出し切ったという思いが強かったですね。でも最初のラウンドでもらったハイキックなど、想定外の攻撃もありました。『ああいう攻撃をもらっていなかったら、その後の試合展開はどうなっていたのか』と考えることはありました」

 通算戦績は33戦20勝(3KO)9敗4分。特筆すべきは5回戦をフルで闘った多さで、実に8回も5ラウンドを闘い抜いている。キャリア前半をムエタイやヒジ・ヒザありのキックで闘っていたせいもあるが、少なくともワンキャッチワンアタックのルールを主戦場にしてきた女子の中では突出した回数ではないか。

 その件を確認すると、小林は「そういう目線で見ていただいたのは初めて」と驚きの表情を見せた。「まわりからいただく言葉で多いのは『最後まで諦めないで闘う姿に心を打たれた』というものです。仮に倒せなかったり負けてしまった試合でも、『愛三は最後までずっと諦めていなかったよね』と言ってもらうことが多かった。振り返ってみると、自分でもそうだったかなと思うところもある」 5回戦で最も好きなラウンドは?

「5ラウンド目です。自分の理性が働かなくなって、自分の本能が出るラウンドだと思うからです。だから想像すらできなかったことができたり、今まで積み重ねてきたものが出たりする。その瞬間は他のラウンドと同じ一瞬でも濃い一瞬だと思いますね」

 テッサとの3度目の闘いを終え、引退を発表するまで1年以上の月日を要した。それはそうだろう。「もう一丁!」という前向きな気持ちと「ここが限界」という思いが激しく交錯していたのだから。

 その後、後者の方に気持ちが傾いていったのは、それなりの理由があった。「いつもだったら、試合を終えた直後に『やってやるぞ』という気持ちが湧き出てくるけど、今回はそういう炎がシュンとなってしまったような感じだったんですよ」

 もちろん、すぐ諦めたりはしなかった。小林は「もう一度、炎をつけるためにはどうしたらいいか」と自分に問い続け、その場で思いを紙に記したりした。

「私は本能や直感で動くタイプ。試合も私生活も全部そうなので、ちょっと難しかった。『どうしたら、もう一回選手として頑張れるのか』と思っても、なかなかそういう気持ちになれない。だから(結論を出すまで)時間をかけようと思ったんですよ」

 所属するNEXT LEVEL渋谷の成田保裕代表やトレーナーのグレイシャ亜紀とも根を詰め話し合った。「もともとやっていた『49㎏級に階級を下げたらどうか?』という提案もしてくださいました。それも一度受け止め、自分の向き合った末に、すいませんという形になりました。時間をかけ、今回の結論にたどり着いたことになります」

 

 先日、小林は長野県に足を運んだ。第二の人生の足がかりを掴むため、『しっかり稼げる農業』を旗印にあげる会社に「体験させてもらえませんか」と直談判し、1週間ほどレタス栽培に従事したというのだ。

「そこは日本で有名な飲食店にも野菜を卸している会社でした。体力的には大変でしたけど、太陽の下で自然と対話しながらの作業は楽しかったですね」

 それにしても、なぜ農業を?

「実はキックを始める前から農業に携わりたいと思っていたんです。母方の祖父母が農家をしていて、季節の野菜やお米を作っていました。その姿を見て、憧れがありました。自分が80歳まで生きるとしたら、田んぼの中で自転車をこいでいるようなおばあちゃんになりたい(微笑)」

 以前から小林は人間の口に入る食べ物について人一倍興味を抱いていたことも大きい。「人のお腹に入るのは食べ物で、いいものが入ってくれれば元気いっぱい健康に過ごせる。そういう食べ物を生み出せる農家さんはすごいと思っていました」

 10代の頃から農業に興味を抱いていたにもかかわらず、キックと向き合ったのは「いま農業をやらなくても」という気持ちが頭をもたげたからだった。ちょうど20歳のときの選択は正解だった。女子キックは愛三を中心に回っていた時期もあったのだから。

 現在小林は30歳、ちょうどキャリア10年というキリのいいところで現役生活に終止符を打つ。「いま自分がやりたいことに向き合ってみて、農業の方に少しずつシフトしていこうと思いました」

 四角いリングでスポットライトを浴びるキックボクサーから陽の光を浴びる農業女子へ。すぐ転向するわけではないが、着々と準備は整えている。近い将来、小林愛実は充実した笑顔とともに田んぼの中を自転車で走っているのだろうか。

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